The Keyboard Is a Digitizer
私はコンピュータのキーボードが好きだ。 キーボードの手前には、この私の体がある。 キーボードの向こうには、コンピュータの情報世界がある。 そして、私がキーボードで表現した情報には、私の体の情報は一切含まれないのだ。 純粋に私の心で構築された情報だけが、コンピュータの世界に浸透する。
ある意味、キーボードはデジタイザとして機能している。 アナログな存在である体を持った実在の私をデジタル化する。 ただし、そこで生まれたデジタル情報は、体の情報を反映しているのではなく、心の情報を反映しているのだ。 その意味では、心を写し出さずに、体を写し出すデジタルカメラとは、まったく逆の機能に思える。
このことを自覚するのは、私が自分の体に嫌悪感を持っているからだ。 もし私が自分の体を好きなら、キーボードではなく、何か別なものに執着していただろう。 そしてキーボードがデジタイザであることなど、どうでも良かっただろう。 その方が幸せだったに違いないが、残念ながら今はそうではない。 キーボードに執着するしかないのだ。
(続く。)